山姥伝説

一般的に山姥といえば悪事を働く妖怪だといわれていますが、虫倉山に伝わる山姥伝説は心優しいお話です。

山姥伝説

一般的に山姥といえば悪事を働く妖怪だといわれていますが、虫倉山に伝わる山姥伝説は心優しいお話です。

虫倉山の山姥 大姥様の伝説

ととっ毛

昔は、小さい男の子は「ととっ毛」をしました。丸坊主の頭の、うしろの一部の髪の毛を残し、長く伸ばしておきます。
川や池で子供が水に溺れかかった時に、大姥様が「ととっ毛」をつかんで引っ張って助けてくれるといいます。
「ととっ毛」は小学校に入学する前に切って、大姥様に納めることになっていました。大きなケガもなく無事に育ったことに感謝するものです。また病気が直るようにと願いをこめて奉納することもありました。大姥様の社殿の格子戸などに、よく「ととっ毛」がくくりつけてありました。子供がケガをしないようにという願いがこめられていました。

「ととっ毛」の風習は、大姥様=虫倉神社および虫倉山の周辺に色濃く言われていました。しかし、かなり遠くの人もやっていたようです。中条村だけでなく小川村、また旧鬼無里村にも同じ風習や言い伝えがありました。 この風習は昭和二十年代までありましたが、その後急速にすたれました。 ととっ毛とよく似た風習は、全国にあったようです。

虫切り鎌

以前はよく、大姥様(虫倉神社)のお守りとして、「虫切り鎌」が授けられました。小さな鎌で、これが子供の「疳(かん)の虫」を切ってくれる、といって大切にされました。虫切り鎌は、疳の虫だけでなく、子供の無事な成育を祈る象徴にもなっていました。
子供が無事に大きくなったら、お礼にまた「虫切り鎌」を奉納したものです。

「虫切り鎌」は大きさが五センチから十センチほどの小さなもので、鍛冶屋(かじや)で作ってもらったり、自分でブリキで作ったりしました。実用的なものではありません。近年はお守りの小袋に入っているものが授与されています。 少し前までは、お礼に奉納した鎌が、よく虫倉神社(大姥様)の社殿の格子につるしてありました。この習慣は、今は廃れました。

虫倉山の幟(のぼり)

麓の老人たちは、よく虫倉の峰に幟が立っているのを見たといいます。これを村人は「大姥様に孫が出来たしるしだ。」と話し合いました。

一緒に住んでいる孫か、ほかに住む孫かは、あまり問題にしなかったようです。仲間の神様と一緒に祝った、とも言います。

大姥様の酒買い

虫倉山の麓(ふもと)の酒屋へ、白髪のおばあさんが二合徳利を持ってお酒を買いに来ました。その徳利にお酒をつぐと、何と二升も入ってしまったということです。
それを村人は、「大姥様に孫ができたから、そのお祝いでお酒を買いにきたんだ。」と語り合いました。
その後、その酒屋は長く栄えたということです。

酒屋は田ノ入の中津屋という酒屋のことだとも言います。中津屋は「住田盛(すみたもり)」という銘柄のお酒を作っていました。別の宮尾酒造は「大姥錦」というお酒を作っていたので、こちらの酒屋だという話もあります。山麓(さんろく)には、他にも酒屋があったのかもしれません。 昔はお酒を個人で買う場合は、そのつど徳利を持参して入れてもらったものです。こうした習慣と関係のある伝説と言えます。 これとよく似た話は、山姥の話として広く全国にあったようです。

大姥様の雨乞い

日照り続きで困ったときは、大姥様に雨乞いを頼みました。すると大姥様は一人でやってくれて、虫倉山に太鼓の音などがしたといいます。
大姥様が雨乞いをしたのは「どんぶり岩」と呼ぶ岩穴で、虫倉山の西の山中にあります。
また、天気の変わり目には、大姥様が山中をかけまわるのがよく見えたといいます。

虫倉山は雨乞いには霊験あらたかな山だったといいます。
少し前までは村人は山に登り、大きな火をたいて雨乞いをしたものです。その時に唱える言葉は
「天竺天の龍辰や 雨を降らせ給いな
ソレ 大姥山の大権現 雨を降らせ給いな
ザーザット ザーザット ザーザット」
これを何回も繰り返します。
虫倉神社の社頭で、また柏鉢(かしわばち)城跡でも行ないました。必ず雨が、少しは降ったものといいます。

ゴマを作らない

虫倉山の周辺では、畑にゴマを作りません。これはある時、ゴマのサヤ(莢)が大姥様の目をついたため、大姥様がたいへん怒って、それ以来、この付近の農民はゴマを作らなくなったのだ、といいます。
大姥様の見えないところ―虫倉山の見えないところなら作ってもよい、といって、南側の斜面ではゴマを作る家もあったそうです。

この話は、伊折を中心に語られています。今でも守っている農家が多いようです。
虫倉山の見えるところでも、少し離れた地区では言いません。
ゴマのかわりにエゴマ(イクサ)を作る農家も多かったようです。
ゴマとエゴマは、標高の違いで、栽培のしやすさが異なっていたのかもしれません。

血を吸わない蛭(ひる)

虫倉山の蛭は、人の血を吸わないといいます。これは大姥様が命じて、大姥様を信仰しているところの蛭に、口止めをしてあるからだそうです。

蛭(ひる)は湿地帯に棲(す)み、動物の皮膚にとりついて血を吸う虫です。血を吸われるだけでなく、たいへん痛かったり、また、傷がついてしまったりするので、嫌われています。 中条村では「ひーろ」とも呼び、水田や川筋で見かけますが、いる場所といない場所が片寄っているようです。

洞穴などの伝説

大姥様が住んでいたと伝えられる洞穴(ほらあな)や洞窟がいくつかありました。
地京原には大姥様が住んだという洞穴は、元穴(もとあな)と今穴(いまあな)の二つあったといいます。今はどこなのか不明です。
虫倉山の北側の、「善鬼谷(ぜんきだに)」には、たいへん大きな洞窟があり、元穴と呼ばれます。大姥様が住んだのではないかと言われます。また断崖(だんがい)の途中に今穴がありますが、けわしい場所で、人は近づけません。
伊折の「どんぐり岩」も小さな洞穴ですが、大姥様にまつわる話が残っています。「夫婦岩(みょうといわ)」は虫倉神社奥社の地名ですが、わずかなくぼみがあります。また、じき近くに二つの袋状の穴があり、「大明神」「大権現」と名づけられています。

虫倉山周辺は岩が多く、あちこちに小さな洞穴があります。地震などで崩れることもあり、以前の状態が変化する場合も多かったようです。 大姥様、また山姥の話には、洞穴や洞窟がよく登場します。山村の古くからの伝説の特色でしょう。