一般的に山姥といえば悪事を働く妖怪だといわれていますが、虫倉山に伝わる山姥伝説は心優しいお話です。
虫倉山の山姥 大姥様の伝説
ととっ毛
昔は、小さい男の子は「ととっ毛」をしました。丸坊主の頭の、うしろの一部の髪の毛を残し、長く伸ばしておきます。
川や池で子供が水に溺れかかった時に、大姥様が「ととっ毛」をつかんで引っ張って助けてくれるといいます。
「ととっ毛」は小学校に入学する前に切って、大姥様に納めることになっていました。大きなケガもなく無事に育ったことに感謝するものです。また病気が直るようにと願いをこめて奉納することもありました。大姥様の社殿の格子戸などに、よく「ととっ毛」がくくりつけてありました。子供がケガをしないようにという願いがこめられていました。
虫切り鎌
以前はよく、大姥様(虫倉神社)のお守りとして、「虫切り鎌」が授けられました。小さな鎌で、これが子供の「疳(かん)の虫」を切ってくれる、といって大切にされました。虫切り鎌は、疳の虫だけでなく、子供の無事な成育を祈る象徴にもなっていました。
子供が無事に大きくなったら、お礼にまた「虫切り鎌」を奉納したものです。
虫倉山の幟(のぼり)
麓の老人たちは、よく虫倉の峰に幟が立っているのを見たといいます。これを村人は「大姥様に孫が出来たしるしだ。」と話し合いました。
一緒に住んでいる孫か、ほかに住む孫かは、あまり問題にしなかったようです。仲間の神様と一緒に祝った、とも言います。大姥様の酒買い
虫倉山の麓(ふもと)の酒屋へ、白髪のおばあさんが二合徳利を持ってお酒を買いに来ました。その徳利にお酒をつぐと、何と二升も入ってしまったということです。
それを村人は、「大姥様に孫ができたから、そのお祝いでお酒を買いにきたんだ。」と語り合いました。
その後、その酒屋は長く栄えたということです。
大姥様の雨乞い
日照り続きで困ったときは、大姥様に雨乞いを頼みました。すると大姥様は一人でやってくれて、虫倉山に太鼓の音などがしたといいます。
大姥様が雨乞いをしたのは「どんぶり岩」と呼ぶ岩穴で、虫倉山の西の山中にあります。
また、天気の変わり目には、大姥様が山中をかけまわるのがよく見えたといいます。
少し前までは村人は山に登り、大きな火をたいて雨乞いをしたものです。その時に唱える言葉は
「天竺天の龍辰や 雨を降らせ給いな
ソレ 大姥山の大権現 雨を降らせ給いな
ザーザット ザーザット ザーザット」
これを何回も繰り返します。
虫倉神社の社頭で、また柏鉢(かしわばち)城跡でも行ないました。必ず雨が、少しは降ったものといいます。
ゴマを作らない
虫倉山の周辺では、畑にゴマを作りません。これはある時、ゴマのサヤ(莢)が大姥様の目をついたため、大姥様がたいへん怒って、それ以来、この付近の農民はゴマを作らなくなったのだ、といいます。
大姥様の見えないところ―虫倉山の見えないところなら作ってもよい、といって、南側の斜面ではゴマを作る家もあったそうです。
虫倉山の見えるところでも、少し離れた地区では言いません。 ゴマのかわりにエゴマ(イクサ)を作る農家も多かったようです。
ゴマとエゴマは、標高の違いで、栽培のしやすさが異なっていたのかもしれません。
血を吸わない蛭(ひる)
虫倉山の蛭は、人の血を吸わないといいます。これは大姥様が命じて、大姥様を信仰しているところの蛭に、口止めをしてあるからだそうです。
蛭(ひる)は湿地帯に棲(す)み、動物の皮膚にとりついて血を吸う虫です。血を吸われるだけでなく、たいへん痛かったり、また、傷がついてしまったりするので、嫌われています。 中条村では「ひーろ」とも呼び、水田や川筋で見かけますが、いる場所といない場所が片寄っているようです。洞穴などの伝説
大姥様が住んでいたと伝えられる洞穴(ほらあな)や洞窟がいくつかありました。
地京原には大姥様が住んだという洞穴は、元穴(もとあな)と今穴(いまあな)の二つあったといいます。今はどこなのか不明です。
虫倉山の北側の、「善鬼谷(ぜんきだに)」には、たいへん大きな洞窟があり、元穴と呼ばれます。大姥様が住んだのではないかと言われます。また断崖(だんがい)の途中に今穴がありますが、けわしい場所で、人は近づけません。
伊折の「どんぐり岩」も小さな洞穴ですが、大姥様にまつわる話が残っています。「夫婦岩(みょうといわ)」は虫倉神社奥社の地名ですが、わずかなくぼみがあります。また、じき近くに二つの袋状の穴があり、「大明神」「大権現」と名づけられています。